アヴェンジャーズIWの発声可能上映をマーヴェルオタのデザイナーが見に行ってみた!
先日、名古屋で開催されたアヴェンジャーズ・インフィニティ ウォーの発声可能上映(絶叫応援上映)に行ってまいりました。
楽しかったよ!という感想を期待している人は、すみません。
今回は割と、否定的な内容となっています。
結論としては、「思ったほど楽しくなかった」。
(前書きが長いので、本題から読みたい人はこちらからどうぞ。)
記事の内容的にネタバレに配慮しながら解説するのは不可能に近いので、後半からネタバレありで書いていくつもりです。まだ見てないよ!って方は申し訳ありませんがUターンをお願いします。
で、なんで面白くなかったのか。
いくつか理由がありますが、それは後ほど詳しく解説したいと思います。
ごめんね。さっさと書きたいんだけど、ネタバレ踏みたくない人のためにも行数稼いでおきたいんだ…前置きなんぞどうでもいいわボケ、って方はザーッと流し読みしてください。
当初3,000文字くらいで書くつもりが1万字超えたんで。1万字なんて余裕っていう頭が変な人だけ読んでいただければOKです。
では行ってみよ〜
■そもそも発声可能上映って何??
情報の早いインターネッツ界隈の人にとっては今更そもそもの話なんて愚問でしょうが、ご存知ない方のために少し補足すると「発声可能上映」とは、普通のマナーの厳しい(喋ったり騒いだり音を立ててはいけない空気での)映画館でのお行儀のいい鑑賞ではなく、「この映画なんだからワイワイ見ようぜ」っていうスタンスで行われる上映会です。ロキちゃんのあのシーンで「ああっ…!!!!」ってなったり、キャップのあのシーンで「ウォォォォォォオオオオ!」って言いながら映画を見られるわけですね〜
■そもそも、映画はどうやって見るべきなのか問題
正直、私は日本の映画館での「映画鑑賞のマナー」について元からモヤモヤしている人間です。だってお行儀よすぎるんだもん。映画ってそんな大層なもんなのかよ、ケッ、てなもんです。まあこんな事言うとすんごい怒声が飛んで来るんだろうな〜、Twitterだったら炎上するんだろうな…
いやもちろん、静かに見た方がいい、素晴らしい作品は多々あります。静かに見るのに向いている作品も多数あります。
例えば忠犬ハチ公のハリウッド版の「HACHI」とか、この前なんかすごい大ヒットした「La La Land」みたいな意識高いやつとか、ヒュー・ジャックマンが大好きな私が3分くらいで「暗すぎる…」と寝落ちした「レ ミゼラブル」とかをガヤガヤ見ていたら確かに雰囲気がデストロイ…
ので、「どんな映画でも大騒ぎして見るべきだ」などとは思っていません。
とはいえ!!!映画って、基本的には娯楽のはずです。特にマーヴェルなんて、娯楽作品の権化と言っても過言ではないと思います。
大笑いしたり、ヒヤヒヤしたり、驚いたり、悲しんだり…
「そんなの関係ねえよ映画館なんだから静かに見るべきだろ。映画館だってそう言ってるじゃねえか!」
って思う人、きっとまだいる事でしょう。ウンウン、そうだね、その通り。
じゃ、ちょっと立場を変えて考えてみてもらいたいと思います。
■クリエイター目線で映画のあり方を考えてみる
私はデザイナーで、クリエイターなので、一度、そっち側(作る側)に立って物を考えてみましょう。
さあ、あなたは映画監督です。
数年に渡る構想と撮影…
トラブルの数々、ギャラの支払い、出演者のスキャンダル…!
あれやこれやの難関を那由多の数ほども乗り越え、いざ!!
クランクアップした作品が!!とうとう!!!
全世界に向けて公開される!!!
そんなとき、どう思うでしょうか?
「オラ、ゴミムシの愚民どもが。ワタクシ様が苦労して作った偉大なるこのグレェ〜〜トな作品を、てめえらはしっかり目ェかっぽじって、正座して、お行儀よく静か〜〜〜に鑑賞しやがれこのクソがァァ!!」
…と、思う監督が世の中には何人かいるのかもしれないですが、まあ少なくとも私だったら思いません。サイコパスで自己愛強いのを自他共に認めるナルシストサイコパスな私ですら思いません。
「みんな楽しんでくれるかな。笑ってくれるかな。泣いて笑って、みんなのいい思い出になるといいな…あと、当たり前だけどしっかりヒットしてくれたらお金がたくさん入るから、どうか成功しますように!!!!うなるほど金になりますように!!そのためにみんなが喜びますように!!!」です。
■日本人真面目すぎる問題
なので、作っている間、作り手は「観客をどう驚かそうか、どう楽しませようか」と試行錯誤して脚本を書いたり演出をしています。
例えばもし自分がホラー映画の作り手側で、「黙って座って最後まで見ていられるホラー」なんぞ作ってしまったら、それっきり映画など二度と作りません。だって、そんなもの駄作以外の何物でもないもん。「あ、俺才能ないわ」ってなること間違いなし!
その映画を見たことが強烈なトラウマになり、悲鳴の一つや二つどころか、子供がオシッコを漏らし、大人もオシッコを漏らす!!何コレ!!
脱糞するほど怖い!!!
それが「ホラー映画としての大成功」(の一つ)ではないでしょうか。
にも関わらず、日本の映画館のマナーというのは極めて「学校の授業の受け方」に近いものです。繰り返される「喋るな」「静かにしろ」「他の客の迷惑にならないようにしろ」などなど。
見る側も見る側で素直に真面目なのでそれを何も考えずにそのまま受け入れて「悲しいシーンなのに誰もさほど泣かない」「ネタシーンなのに誰も大爆笑しないで押し殺してる」という状況によく遭遇します。
おそらく国民性も影響していますが、ネット上で色々な意見を見てみても、「ポップコーンの音すらうるさい」「横のやつが臭い」「飲み物を静かなシーンで飲むな」など、他人の立てる音にやたら厳しい意見が目立ちます。
■海外の映画館はその辺が結構ゆるい
一方じゃあ、例えばアヴェンジャーズ、マーヴェル作品であれば、本国であるアメリカなら、どういう風に鑑賞されているか。
これはアメリカ人の友人情報なのでもちろん例外もあるでしょうが、基本的には、
「隣の見知らぬクソゴツいヒゲもじゃのおっさんがわんわん泣いている」
「超美人で上品そうなお姉さんがデップーちゃんの下ネタで大爆笑してる」
「めっちゃみんなヤジを飛ばす」
「ヴィラン(悪役)が後ろに迫ってたら、後ろ!!後ろ〜〜!!って言っちゃう」
と、そういう状況だそうです。
つまり映画館自体も「わざわざ作品を鑑賞しに行くところ」というより、「非日常のエンターテイメントをワイワイ楽しみに行くところ」な訳です。
私も昔、一度イギリスに滞在していた頃に映画館に行ったことがあるのですが、その時も観客は普通に泣いたり笑ったり吹き出したりしていました。
驚きのシーンがあれば、隣の全く見知らぬ人と思わず顔を見合わせ、「今の、見た!!?」「…見た…!!」と目を見開きながらアイコンタクトをとって、映画が終わる頃にはエンドロール後の「林完治」の文字をバックに、「なかなかやるな!」「ふっ、お前こそ!!」みたいな変な絆ができていたりします。
黙って鑑賞する事を否定はしません。そして全ての映画をそう見るべきとは思いません。最初も言いましたが、黙って見ることで余韻が残る映画もたくさんあります。
ですが、ことヒーローものに関しては、
「ちょっと日本人は感情を押し殺しすぎなのでは」と思うのです。
一度めに今回のアヴェンジャーズを見に行った時なんて、啜り泣きすら聞こえず、劇場を後にする際にはお葬式状態。
いや、泣けよ。トム・ホランドがあんなんやぞ!!
泣けよ!あれは号泣するシーンだろ!!!!!!!
楽しいかそれ!!だいたい、アヴェンジャーズだぞ!!
ビール片手に「Whoo hoo!」って見るもんだろうが!!
何のためのヒーロー・アクション映画だよ!!
私が監督ならこんな無表情で見られたらもう二度とその国で上映しねえ!!!
ヒーロー映画は静かに見るべき高尚な「お作品様」などではないのではないか。
泣いて、笑って、感じて、楽しんで、日頃のフラストレーションをブッ飛ばしてくれる!!そういう楽しみ方をしてもいいものなんじゃないか。
てか、そうあって欲しい。
これが、私のヒーロー映画に対する現状認識と不満です。
あー長くなった。疲れた。もう本題、投げ出したい。めんどくせえ。
ぶっちゃけ誰も読んでないだろこんなん。長いよ。あ、一万字超えた。
どこまで書くのよ。キャラも安定できないよこんな長文…
でもまあ書き始めたからにはオチはつけないといけないよね…
私の中の1ミリも流れていない関西人の血がオチを付けろと言っている。
そんなわけで、
さてここからやっと本題です。
「発声可能上映って結局、どうだったのよ?」
答えとしては、「映画そのものと、主催のイベント運びによる」です。
■シン・ゴジラの時と今回の発声可能上映との違い
私、発声可能上映は2回目なんですよね。1回目はシン・ゴジラでした。
ちなみにシン・ゴジラ自体は4回見に行きましたが、お友達であるmis●caのマ●モトサトシ氏は8回行ったと相変わらず小刻みに揺れながら言っていたのでその点では敗北しました。上には上がいる。
で、1回目のその、シン・ゴジラの時の発声可能上映はすんごく楽しかったんですよ。でも、今回のインフィニティ・ウォーの絶叫応援上映はちょっとつまんなかった。
ってことで、その違いは何だったのか、色々と思い出しながら理由をまとめていこうと思います。先に言っておきますが、私は今回、絶叫応援上映を主催した配給会社さんや、それに関わったであろうイベント関係者の方々をディスりたいわけではありません。
あくまで私が感じてしまった、
「ここがあんまり良くなかったんじゃないか」という意見の一つです。主観です。
以後、思い出しつつ、時系列に沿って書いていきます。
■いきなり、キャプテンアメリカを発見。
とりあえずチケットを発券したところ、やたらハイクオリティなキャプテン・アメリカがいることを発見。え、何それヤバない?今風に言うと、あれ、やばたにえんとか言うあれだぞ?とか思いながらも、チキンな私は声をかけることがなかなかできず、気づかないフリをしてポップコーンの列に並ぼうとしました。
その直後です。可愛い女の子がキャップのコスプレの人に喋りかけているのがわかったのは。いきなりだとちょっと緊張するが、2番めならいける!!
私は便乗すべく、即座にUターン。
「あの〜…」と、キャプテンアメリカのシールドデザインのリュックをみせ、「実はファンでして…と」様子を伺い、とりあえず一緒に写真を撮ってもらい、全身でいくらくらいかかったのか、何処で揃えたんだなど、失礼な質問をぶつけてなおかつ写真まで撮ってもらい、大喜びです。上映を前にテンションはマックス!!先日入金あったし盾買うぞ!!と意気込む私。
(ちなみにシールドや衣装は大須にあるダークサイドさんで揃えたそうです。盾は6万ほど、服は全部で30万近いそうな)
チケットを片手に、ワクワクしながら席に座る私。
隣は何だか線の細い感じのお兄さん、左隣は若い女の子たちが並んでいました。
みんなソワソワ。
入ってすぐ目に入ったのは、テレビ局のカメラ。
なるほど、何処かの局がこのイベントに協力するとかしていて、どんなイベントだったのか会場の雰囲気とかを後で流すんだろうな、とその時は思いました。
思えばシン・ゴジラの時の上映でも、テレビ局のかたがきていましたし。
今回も同様なのでしょう。
MCにアナウンサーの人がきて、発声可能上映会の説明をします。
そして、そのアナウンサーの人の自己紹介や、イベントの説明などが最初に説明され、ようやく発声可能上映そのものが始まるわけです。
今回、やたら爽やかなイケメン風のお兄さんがスポットライトを浴びて入場。何やらとても本格的な感じです。(実はここから嫌な予感がし始める)
■シン・ゴジラの時にもテレビ局は来ていたが…
シン・ゴジラの時もテレビ局は来ていましたしMCもいましたが、説明自体は簡素で、どっちかというとオタクイベントでした。
オタクしか来るわけないんですよね。
だって庵野のゴジラだぜ。オタクしか来ないよ。
なので会場の雰囲気はというと、何というか、「少しアングラな感じ」だったんですよね。かなりの人がゴジラの被り物してたし。コミケっぽいと言うか。
注意事項もそんなにキチキチじゃなく、緊張感はありませんでした。
浮足立つような、変なオタクの熱気だけです。
で、今回はというと。
■コスプレイヤーがほとんどいない
まず思ったのは「あれ?あんまりコスプレいないぞ」ということ。
シールドまで持った凄いクオリティのキャプテンこそいましたが、「いかにもな全身タイツのスパイディ」とか、「ハルクになりきってる被り物の人」とかはいませんでした。
場所がミッドランドスクエアだった事もあるのでしょうが、「現地で着替えないでください」というルールが事前に敷かれていたことと、発声可能上映をするよ!というお知らせからチケットの販売までそんなに間が空いていなかったので、準備する人が少なかった事もあるかもしれません。
とはいえコスプレだけがこうしたイベントの醍醐味ではありません。
あくまで目的は楽しく映画を見る事です。
お行儀よく黙って見て、最後はお葬式状態のアヴェンジャーズではなく、泣いたり笑ったり憤ったり驚いたり、感情豊かに楽しむことができるアヴェンジャーズを私は観に来たんだ!
しかし。
そうはいかないんですよねこれが。
■余計なMCの発言と禁止事項でげんなり
MCの自己紹介の後、まず禁止事項がある事が告げられました。
全部を覚えてはいませんが、こんな感じです。
①ルール無用で何でもありです!
②ヤジは飛ばしても良いが下ネタや性的なヤジは禁止。
③見た目に関するヤジも禁止。
④お客様同士のおしゃべりも禁止。
⑤会場が手配した鳴り物以外の持ち込み禁止。
一見、「そりゃそうだ」と思えるルールです。何も間違っていません。
いや矛盾はしてるけどね?ルール無用なのに禁止事項あるのかよ。
が、これらのルールとMCの司会運び、様々な要因が重なった結果、主観ではありますが「まあ…これじゃない」感満載の応援上映を味わうことになったわけです。
ルールの説明の後、「大声を出す練習」と称して、MCが「アヴェンジャーズ!」と言ったら観客が「ウォー!」と言う、練習をすることになりました。(ここらですでに頭の中には疑問符が発生)
どうやら、「みんなで」「アヴェンジャーズを」応援しよう、という事のようです。
なるほど「絶叫応援上映の応援ってそういうことか…」と納得。
まあ、良いわ。個人的には「映画そのものの応援」のつもりだったけど。うん。
■メディア的なメタ認知のせいで色々と台無しに
そんで、叫ばされたわけです。
「ウォーーーー!!!」
ふう、やれやれ、そろそろ上映が始まるのかな?
「あ、もう一度!!カメラさんがOK出すまでウォー!を続けてくださ〜い☆」
…まさかのやり直しよ!!!!!!!
しかも局の都合だよ!!!
さて、この時点で気分は萎えっ萎えです。
なぜでしょう。何が悲しくて、わざわざお金を払って、普段なら滅多に来る事もないミッドランドまで来て、テレビ局の為にこんなバカみたいな掛け声を何度も上げさせられねばならないのか。
この瞬間、私の中では「オタクどもがノリノリで楽しんでる良い絵を撮りたいテレビ局と、そこにまんまと集めさせられたバカなオタクの1人」という絵が思い切り頭に浮かびました。浮かんでしまった。
多分、ここで変に動画の都合など匂わさず「あれ、みんな思ったより声、小さいですよ!!絶叫しに来たんでしょ!!?マイクに負けないほど腹から声出して叫べェェェェ!!!!」とか煽ってくれたらまだ、非日常の世界にいる自分のままでいられたかもしれません。
が、そんな事言われたら意識するじゃん!!!しちゃうじゃん!!!
ああ、ここは舞台の上なのか、と。
「テレビの中という非日常のなかの人になる為に」集められた、
「アメコミ映画イベントに集まる訓練された熱心なオタクとして」
「見世物にされるんだ」と。
確かに番組の進行上、盛り上がりまくっているシーンは必要な絵面でしょう。
わかります。ものすごくよくわかりますよ。
私だって向こう側に立っていたら同じように思うに決まっています。
だって広告屋だもん。デザイナーって広告作るのが仕事なんだもん。
「良い絵」の為なら大概のことはする、そんな基地外集団のマスゴミと、ある意味ではメンタルは一緒だもん。
欲しい絵のためならブサイクはフォトショップするし、髪の毛だって増やすよ。
でも今回に関しては別にみんな、
テレビに出たくて映画館に来たわけじゃねーよ。
さらに最悪だったのは、「まさかサノス側の人はいませんよね!!?サノス側の人〜!(挙手を求められる)」という余計な言葉。
あのね。この状況でサノス側名乗れるやつ、居ると思う?ネタならともかく。
そもそも、サノス側じゃいかんのか!?
そもそもマーヴェルがここまで人気になったのは、アイアンマンの格好よさやグラフィックの美しさだけが理由ではありません。
「ヴィランにも理由がある」ということがマーヴェル、いやヒーローもの作品を輝かせる要素な訳です。
ロキが葛藤しながらソーを見つめるその姿に。
父を殺した親友と戦わねばならないグリーン・ゴブリンの悲しみに。
魅力的で感情豊かなリアリティあるキャラクターたちに、観客は共感し、ヒーローと、ヴィランと共に葛藤を味わう。
そしてそのヒーローの葛藤やヴィランを倒した時の爽快さは、ヴィランの葛藤が深ければ深いほど、ヴィランが魅力的であればあるほど、輝く。
その葛藤を乗り越え涙ながらに正義を為す輝かしいヒーロー達に、自分を投影し、痺れ、憧れる…!それこそがヒーローものの醍醐味!!!!
なのに、なにそれ??
MCさん、マーヴェルが好きだって言ってたよね?
本当かよ。本当だとしたら貴様はマーヴェルの何を観てるんだ。
サノス応援したっていいじゃない!!!!!
地球人半分死ねって思ってる締め切り間際の人間もここに居るんだぞ!!!
■結局、ルールと規制が大好きな日本人…
①ルール無用で何でもありです!
以下を見ていただければわかる通り、ルール、ありまくりです。
②ヤジは飛ばしても良いが下ネタや性的なヤジは禁止。
…え?映画の内容が下ネタだらけなんですけど???
(これには観客からも上映中、下ネタを発するキャラに向けて「こっちは下ネタ禁止だぞ〜!」と言うナイスなツッコミが入っていました。)
いや、わかるよ?
サノス出て来た時、キンタマコールしたらテレビで流せないもんね。
でもさ、キンタマって劇中で言われてるじゃん??
普通やるでしょ、キンタマコール。
ケツに入れてた目玉とか出てくるのに?
デッドプールも控えてるんだぞこっちは!!
下ネタ駄目な奴がマーヴェル見に来る訳ないだろ!!
③見た目に関する(ディスる)ヤジも禁止。
え、ガモーラに対して研ナオコって言っちゃダメなの?マジで?
ま、これも理解できます。「ブサイク引っ込め!」とか言うやつ居るかもしれないと思ったら、禁止した方が安全です。
でも、禁止の仕方が曖昧なことと、日本人的な感覚で「禁止」と言われると、もうこれは「そうなりそうなものも含めて全部禁止」な訳です。
つまり、「何なら言ってよくて何を言っていいのかわからなくなる」ので、そうなると人は「何も言わない」と言う反応になります。
当然、盛り上がりづらくなるよね。
④お客様同士のおしゃべりも禁止。
私としては、正直これが一番、やらない方がよかった禁止事項だと思います。
シン・ゴジラの時はそのルール、正直記憶にないので、多分ある程度OKと言うか、特に取り決めをされてなかったんだろうと思います。
今回はネタバレ防止の意味もあってかおしゃべり禁止。
横の人とキャッキャ言いながら見たかったのに。
どうせ日本人はこんな時ですら小声でしか喋らないのに…
これについては少し詳しく書きたいと思います。
おしゃべりを禁止することで起きる弊害について。
よく、みなさん耳にする事はありませんかね?
『幼稚園の子どもの声がうるさい』ってやつ。
もちろん、うるさく感じるにはいくつか理由があるでしょう。物理的な問題もあります。ここで言いたいのは心理的な問題です。「なぜ無害なはずの子どもの遊び声が特定の人にはうるさく感じるのか」。
これに関しては「騒音」ではなく「煩音」という概念があることを、騒音問題総合研究所という所の代表である、橋本典久さんが指摘しています。(ブログがあるようなので詳しくはこちらをどうぞ)
「煩音」とは、「騒音とは異なり、音量にかかわらず聴く人の心理状態や人間関係などの要因によってわずらわしいと感じられる音」のこと。
どれだけ対策をしても、音が小さくても、人は音を聞いて不快になることがある、ということがあります。この原因は、「不安感」と「関係性」なのだそうです。
「顔も知らないどこぞの躾がなっていないガキの声」はうるさいけど、「2丁目に住んでる山田さんの娘のユキコちゃんの声」はうるさくない。
絶叫上映でも同じことが言えます。
私の隣に座った女の子は、自分でも声がデカい自覚のある私よりもはるかに大きな声で、しかも金切り声をあげて、耳が裂けるかと思うほどの音量で、キャラクターの名前を何度も何度も叫び続けていました。
絶叫可能なはずなのに、同じキャラクターを好きなはずなのに、私はなぜかそれがうるさくて仕方がなく、とても不愉快でした。
彼女はスパイディグッズをたくさん持っていたので、多分スパイダーマンを推している子だったのでしょう。私もスパイダーマンは大好きです。
きっかけさえあれば、仲良くなれたに違いありません。
ゴジラの時、私の横に座った男の子は、蒲田くんに似せた帽子をかぶった男の子でした。私は上映中にその子とチラチラと目を見合わせながら、「来たぞ来たぞ!」「来るぞ!」「来た〜〜!」などと、喜んで観ていたことを覚えています。その子がゴジラの熱線シーンで叫んでも、ちっともうるさいとは思いませんでした。
会話が禁止ではなかったことで、「知らないどこぞの誰か」ではなく、「蒲田くん帽子をわざわざこのために作って来た男の子(とそのお母さん)」という関係性ができていたためです。
今回はどうだったか。
「会話禁止」と言われた以上、到底話しかけることも憚られます。
右の、誰かが死ぬシーンではぐすんぐすん泣いていた痩せたお兄さんはもちろん、スパイダーマンという共通点があるはずの左隣の女の子ですら、私にとって「赤の他人」にしかなりませんでした。
「会話を禁止されたことで、関係を構築できなかった」ためです。
そして、冒頭にあった禁止事項とテレビ局が番組に使うための「発声練習」があったことによりさらに、そこに「普通の人とは違う、異様なオタクの代表格」が彼女であるかのように映るのではないか、という不安もが追加されました。
特に新潟の女児誘拐殺害事件で犯人の友達がアニメオタクだったなどと報道されてしまっている昨今、よもすると「たかが映画(とそのキャラクター)に、ここまで発狂する危険な集団」という受け取り方をされかねない訳です。でも、
もしも彼女と、一言、二言でも、劇中に話す機会があったなら。
私は彼女をうるさいと思ってしまうことなく、むしろ彼女と、楽しかったね!と言い合いながら外に出て来ることができたでしょう。
だいたい、会話禁止してどうすんの?
他人の絶叫聞くだけになっちゃったじゃんか。
■一体感出すには、ちょっとキャラクター多すぎる
今回はゴジラの時と違って、アヴェンジャーズなので、会場には色々なキャラクターが好きな人が来ています。キャプテン推しの人、ロキちゃん推しな人、兄上推しの人、スパイディ推しの人、アイアンマン推しの人など、色々いるわけです。
ゴジラの時にもみんなそれぞれ推しのキャラクターはいましたが、メインはゴジラなので盛り上がるタイミングが分かりやすく、みんなでゴジラ!!ゴジラ!とコールするなど、異様に一体感が生まれやすい条件が揃っていました。
しかし今回は、そうではありません。
一体感、という点でいうならばブラックパンサーの「ワカンダ フォーエバー!」くらいのものでした。
■エンターテイメントとしての映画体験を期待していた。
そんなこんなで、
「キャラクターが多すぎて一体になる暇もない」
「まさかサノス側なんていませんよね?」による思想統制
「テレビ局の都合でダメ出しが出る導入」
「あれはダメこれはダメお客同士での会話の禁止=関係の構築難」
など、様々な要因が重なった結果、
「みんなで」
「ルールの通りに」
「空気を読んで」
「一体となって」
「アベンジャーズ側を」
「応援しましょう!」
みたいな空気に…
もちろん、これはあくまで個人的な意見だし異論はあって当然で、むしろ私の期待感が間違っていた可能性も充分あります。
Twitterでこうしたモヤモヤを吐き出したところ、何名か同意していただけるご意見も得られましたが、逆に「そんなことは微塵も思わなかった!」という方ももちろんいることでしょう。
うん、いいんですよ。それはそれで。
ただ、私は「それは違う」ってなったよっていう。
メタ的に、広告業の人間として考えてみると、私がカメラマンやディレクターであれば、あの冒頭の「ウォー!!」とか、鑑賞後のシーンで興奮した観客のインタビューなどが撮れればそれで仕事としては完璧です。
でも、こちらは「エンターテイメントとしての映画館」に足を運びたかった、ただのマーヴェルファンだったんですよね…
日本的な、お行儀の良い映画鑑賞体験じゃなくて、隣の席にいる人とうっかりコミュニケーションが発生してしまうような、そんなエンタメとしての映画を、迷惑がどうとかマナーがどうとか気にせずにただ普通に楽しみたかっただけな訳です。
ルールで縛り、適切な思想で、適切にヒーローをただ応援してくれれば、確かに放送コードに引っかかることもない「良い絵」が撮れます。
配給会社も満足するだろうし、面白いイベントを手がけた人もしっかりクライアントなりユーザーなりにアピールできて、テレビでそれを見る人も「なんか面白そうなことしたんだな」と思えるでしょう。
でも、私は、ただのマーヴェル好きとして、「思ったことを思ったように、感じたまま映画を楽しみたくて」映画館に来たわけです。
和気藹々と、何も考えず、テレビ局の事など知らずに。
■普通に映画を楽めるんだと思っていたのに…
愛すべき我らがロキちゃんのあまりにもあんまりな死に涙したり、
ガモーラを殺さねばならなかったサノスの顔を見ながら苦しんでみたり、
兄上がケツの穴から出て来た義眼を入れる所で爆笑してみたり、
ドクターがガクブル状態で未来視してるの見て膝を叩いて笑ったり、
雷神モードになった兄上がワカンダで一瞬のうちに敵をなぎ倒すのを見て、
いざヒーロー来たらん!!と大興奮して「イャッハァーーー!」と叫んでみたり、
謝りながら消えていくスパイディとトニー・スタークを見て、
理不尽さに血管ブチ切れで男泣きしたり…
そういう事がしたかった。
そしてそれができるんだろう、と思っていました。
なのに、いざ行ってみたら、
「"みんなでアヴェンジャーズのヒーローを応援するショー"の観客役」をやらされて、気付いたら自分が見せ物になっている事を思い知らされてしまったわけです。
期待していたファン同士の交流もさほど生まれず、一体感もなく…
「映画を見ながら周りに合わせて声を出させられるエキストラ」の一員にされる。
「応援したい訳でもないキャラクターへの絶叫をただ聞かされる」。
偉そうなことをいいますが、「一体感は作るものじゃなくて、生まれるもの」なんだと思うんですよ。偶然発生するから、「掛け替えのない体験」になり得る訳で、「みんなで一緒に、誰それを応援しましょう、さん、はーーーい!」なんてやられたらぶち壊しもいいところです。
■オタクってのは馬鹿の集まり
誤解を恐れずにいいますが、オタクはバカです。
好きなことのために数時間トイレも行かずに1万3000文字も書くことができたりするんです。
そんなバカなオタクが、発声可能上映のようなコスプレOKイベントにはやって来る。
基本的に、マーヴェル物でアベンジャーズまでわざわざ見に来る層というのは、結構コアなファンです。10年前に始まったMCUをきちんと追っていないといけないし、そのためには何本も映画を見なくちゃならないし、何ならマーヴェル以外の映画も知っていないと笑えないようなギャグもぶち込んで来る。
つまり「オタクとしての解像度が高いオタク」です。
そして「オタクは黙って良いもの見せておけば勝手に身内で結託する」生き物です。
多分、「主催側がそこら辺をわかっていたか、分かっていなかったか」、そして「そういう人たちが集まっていたのか、そうじゃなかったのか」、が、シン・ゴジラとアヴェンジャーズの発声可能上映の違いになって出てきてしまったのではないか、と思います。
「みんなで一緒に正義の味方を応援しよう、おー!」みたいなアンパンマンかドラえもんみたいなことを言わなくたっていいんです。
鳴り物だって、会場手配以外禁止!とか言わなくても、変なもの持ち込む人がいたらその時止めれば良かっただけです。
オタクを馬鹿にしてはいけません。
むしろ先に「ピコピコハンマーOK」と書いておくだけで、会場で手配なんてしておかずとも、ムジョルニアの形にしたピコピコハンマーを自作して持って来るヤツが絶対にいたはずです。
わざわざ「練習しましょう、絶叫しましょう、サノス側の奴なんていないよね!」なんてわけのわからない同調圧力をかけなくたって、むしろ「みんなと同じであれ」という世間一般の正論からはるか遠くの世界に住んで、好きな物のことを片っ端から調べ上げ、「これが好きなんだ!」「キャプテンアメリカになりたい!」みたいな、ある意味すごく原始的な欲求を満たすためになら、コスプレ衣装のためだけに30万も使っちゃうような連中の集まりです。
ほっとけば勝手にライブになるし、人目を気にもせずに盛り上がるし、好き勝手の限りを(常識の範囲内で)やり始める、それがオタクです。
そのくせ、世間から気持ち悪いと思われたくないという繊細なマインドを併せ持った面倒臭い生き物、それがオタクです。
ああいった一体感と没入感を必要とするイベントにおいて、「メディアの存在」「綺麗事で包んだ大人の事情」というのは決して表に出してもプラスには働きません。
「ディズニーランドに行ってみたら、うっかり見えたミ●キーの中身がヨダレ垂らして女児を見つめる変質者だった」みたいなもんです。
■色々言ったけど、最後に
もう思いつく限り、色々言ってすでにこの時点で1万2000字超えです。
自分でも読み返したくない。誰が読むのかもわからない。それでも、もしここまで読んでくれた人がいたとしたら、狂気の沙汰です。本当にありがとうございます。
何やかんやとネガティブなことばかり書きましたが、それもこれも、オタクの愛ゆえと受け止めていただければ幸いです。
あー、オタクで良かった!!!!
マーヴェルありがとう!!
ロキちゃんありがとう!!!!
みんなありがとう!!!
フォロー、リムブロ、ご自由にどうぞ。
付き合って2週間で市議会議員と結婚した話。
うちの旦那氏、いわゆる市議会議員とか言う奴なんですけど、よく聞かれるのが「どうやってそんな人と知り合ったの?」「なんで結婚したの?」と言うのが最多です。たまに「へー、君、結婚しなさそうなタイプなのにね!」ってのがありまして。どういう意味やねん。
でも確かに、私が旦那氏と付き合い始めてこうして結婚するまで、結婚なんてほとんど考えたこともなかったんですよね。理由は最近にありがちに「メリットがなさそうだから」みたいな。自己実現だってしたいし、子供とか想像もつかんし、結婚ってあれでしょ?なんか、旦那さんが稼いで来てくれる代わりにずっと家事する人になったりとか、自分も働いてるのに厄介ごとが増えるんでしょきっと、みたいな。
なので結婚とかは意識してなかったんですが、そん時は、就活をしていました。
で、まだ当時システムエンジニアをしていたときに知り合って年に1度会うか会わないかの知り合いだった旦那氏に、たまたま、「九州の地元だと仕事がない」とぼやいてたら「名古屋ならあるさ!」ってドナドナされて、なんかそのまま付き合うことになって、向こうがこっちの部屋に、仕事が終わるとだいたい、入り浸りするようになり。流れグダグダかよ。
いや、ちゃんとした告白とかは一応されてるんですけど、その辺は超サクサク〜〜っと進んでいきました。そんでもって、2週間ほどしたら、向こうの親御さんが、「なんかお前、最近帰ってこないな」。「あー、彼女できたー」と旦那氏が返したらこう、いきなり、
「そうか。仲人はどうするんだ?」
……まあ、ね?多分ね?向こうの親御さんもご高齢なので、「いい歳して一人息子が結婚しないんじゃ心配で死ねない」みたいな、そういう心配をされていたんだろうと思うんですが。それにしたって2週間ですよ?まだ。どうなのよ。知り合ったの自体はそりゃ十数年昔だけど、まともに喋って付き合い始めたの2週間前ですよって、思いましたよそりゃ。
んで、まあ、「そう言われた!」って。
「はぁ????」
死ぬほど間抜けな声が出ました。
で、うちの親もたまたま電話で話してたら、「あらどうもお世話になりまして!うちの娘をどうぞよろしくお願いします」って言っちゃいました。
多分、いや間違いなく「ただの挨拶」だったのですが言われた側としては
「ん???娘をよろしく…????」
つまり「旦那氏の勘違い」と「向こうの親の早とちり」と「うちの親の言い回しが誤解を招いた」のが結婚のきっかけです。
実際にはまあ、そのような話が出てから、諸問題をクリアしたり、私の中で色々な修羅場があったり、二人で話し合ったりしました。
中でも私にとって大事だったのは、「結婚することによって私は損をするのかしないのか」だったので、その辺を徹底的に話し合いました。というか、質問攻め。
Q.家事は分担するのか?
A.する、料理も少しできる、8年一人暮らしをしていた。
(なるほどそれは便利だ…)
Q.市議会議員って特殊っぽいけど何かせねばならないのか?
A.特にないと思う、四年に一度失業するかもしれない。
(普通のリーマンでも今後どうなるかなんて分からんなー…)
Q.ちなみに落選の可能性は高いものなのか?
A.ちゃんと頑張ってる限りそのつもり(落選するつもり)はない
(そういうもんなのか…)
Q.それでももし万が一、失業したらどうするのか?
A.吉●家でお皿洗いしてでも養います!
(そういう気概があるんならまあ、ない奴よりかはマシだな)
Q.私は仕事は続けられるのか?
→むしろ続けてもらわないと困る
(つまり夢や目標を諦めたりはしなくて良さそうだな)
Q.君が市議会議員であることで、私もそれっぽくせねばならないのか?
A.多分大丈夫、表に出てこない奥さんもいっぱいいる。
(面倒臭いの嫌だし取り繕うの下手だからね…)
そうしてこう思いました。
じゃあ結婚しても、今の生活に、なんか面白そうなことがちょっと増えるだけか〜〜。
当然ですがそれだけで済むわけはないので、結婚して大変だったこととか(最初の一年は死ぬほど喧嘩ばっかりしていた)、市議会議員が身内にいることによる特殊な出来事とかも沢山ありますが、まあそこは、また今度。
うちの親は昔から、「友達でも彼氏でも、自分の実になる、成長させてくれる人だけを選びなさい。尊敬できて、優しくて思いやりがあって、一緒に成長してくれるような、そういう人がいずれ現れるわよ。」と言っていて、「そーか、だったら出来れば、能力があって、優しくて、なんかすごい人と付き合いたいからそうなった時恥ずかしくない自分にならなくっちゃいけないんだな」とか思っていたわけですが、数十年して、まさにその通りになりました。
こうした形で身内を褒めるのは少し恥ずかしいんですが、多分、なかなかいないと思うんですよ。
優しくて、勉強熱心で、色々な人に頼りにされていて、それでいて、思いやりがあって、家事とか些細なことも嫌がらずにできて。
そしてすでに立場とかプライドとかだってあるだろうに、そんなの気にも留めずに「いざとなったら、深夜にお皿洗いしてでも養います!!」なんて、女の子に向かって言っちゃえる人。いまどき。
お洒落なレストランで指輪とともに…!みたいなロマンティックなプロポーズじゃないかもしれないけど、そこまで言えちゃうんだったら付いてってみよっかな?と思わされてしまったのでした。
ちなみにそのあと、ちゃんと「お洒落なレストランで指輪を用意してプロポーズ」はリテイクするようお願いしました。
Twitterはこちら。
お題:デザイナーになって良かったな〜と思ったこと10選
クリエイターの苦悩。SNSを覗くと、やれ支払いトラブルが起きた、やれ横暴なクライアントに振り回された…などなど、クリエイターの阿鼻叫喚には事欠かない時代になりましたね…かく言う私も普段は半泣きです。途中まで完成したお仕事は踏み倒されそうになったし、口先だけでお願いと言いながら途中でキャンセルされたり、挙げれば枚挙に暇がありません。
とは言っても、いいことだってあるんじゃない??
なって良かったとこだってないと、なりたいって人いなくなっちゃうんじゃない??
と、いうことで、今回は「デザイナーになって良かったこと」をお届けしたいと思います!!これから「デザイナーになってみたいな〜」とか、「デザイナーってのはどんな生態の奴らなんだ?」と思っている人に、なんとな〜くイメージだけでも伝われば幸いです。
それでは行きましょう。
1. 人に喜んでもらえる
うーん、お利口さんな答え!!! つっまんな!!!
ま、でも実際、自分が一生懸命考えて作ったデザイン=仕組みが効果を出してくれて、お客さんの望むことが実現できたよ!!って報告を聞くのはとても嬉しいです。例えば、自分が作ったチラシでお客さんが増えたとか。作ったチラシに対して、「読みやすかった」と言う反応があった時とか。
やっと苦労が報われたぜ…!
この日のためにあのしんどい七転八倒があったんや…!
ってなります。最高です。
2. 普通なら会いにくい人に会える
デザインのお仕事をやっていると、普通だと会えない人に会えることもあります。
例えば、地域アイドルの子達や、その地域の名士と呼ばれるような人だったり、普通にサラリーマンとして働いていたら会うことがないようなどこかの会社の社長さんだったり…人によっては、芸能人に会えるという事も往々にしてあります。
いわゆる、役得の一つですね。
裏の顔というか、素の顔を見ることもありますし、
どんな人でもフォトショップがあるからね…
みたいな(あんまり知らなくていい)ことを知れたりもします。
3.世の中がそれまでと違って見える(世界が広がる)
デザインを始めると、いわゆる「職業病」にかかります。印刷物の色をCMYK換算して考えてしまったり、ただ町を歩くだけでもあちこちのチラシやロゴや店舗の内装やらが気になってしまったり…
「職業病」と言うとなんだか業が深いようなニュアンスがありますが、良く言えば、
「世界を見るための物差しが増える」ということ。
美しい景色を見れば写真を自然と撮りたくなるし、美しい文章に触れればコピーに活かしたくなる。ただ料理を盛り付けるだけでも美しく見える盛り付け方について考えてしまうし、お皿を買いに行っても何を盛ったらその器が活きるのかを考える。
部屋の片付けやインテリアについて色々考えたり、どうすればかっこ良くなるだろう?と常にその物差しが働くようになります。モノを買う時にも、審美眼が強化されているので、良いものとそうでないものの見分けがつくようになります。
それまでは全く気に留めてもいなかったモノが、自分に関係があることとしてより身近になる…
少しかも知れませんが、デザインという物差しが増えたことで、これまでの人生がより豊かになったと感じることが沢山あります。
4.生活のクオリティが上がる!
先ほどの3と少しかぶるのですが、審美眼が鋭くなることで、悪く言えば面倒臭い奴になれます。良く言えば、良いものと悪いものを見分ける力が上がるので、インテリアや食べ物、レストラン選び、服選びなどなど、生活の中で無数に行わなければならない取捨選択を高いクオリティで実行できるようになります。
100均のお皿とイッタラの違いは何でしょうか?
ブランドものと、そうでないものの違いは?
なぜブランドものは高いのでしょうか?
もちろん、別に安物が悪いと言っているわけではありません。
安くても良いものも世の中には沢山ありますが、じゃあ、それがなぜなのか?ということまで考えられるようになると、取捨選択の中での失敗も格段に減ります。
5.別の世界を覗ける
デザインのお仕事は、同じ仕事はそんなにありません。定期的な仕事をもらっている場合は別ですが、クライアントが同じだったとしても状況は常に変わります。クライアントが変われば、勉強しなければならないことも変わってきます。
例えば病院がクライアントで、「患者さんが貰うための薬袋」を作らねばならないとしたら、「薬袋のあるべき姿」を模索することになりますが、その次に来た仕事が「アイドルコラボのスタートアップイベントのポスター」だったら、ターゲットは「起業したい人」になります。
案件が変わるたびに、ターゲットがどんな人で、クライアントの強みがどこで、広告物がどんな見られ方をし、どう使われて、どういう結果を出さなければならない物であるのかを考えねばなりません。
毎回毎回が業界研究のようなものです。デザインをしていなかったらする機会がない勉強ではありますが、業界の裏話を聞いたり、色々な人の人生を垣間見ることができます。
飽き性の人や好奇心旺盛なタイプにとっては良いデバガメのチャンス…!もとい「常に新しい何かに触れられ続ける刺激的な仕事」です。
6.(割と)好きなことがお金になる
自分がデザイナーになったきっかけのきっかけは、進学前にフラフラしていた頃に職業訓練校のインターンで「長時間座ってるの苦痛じゃない」ことが判明したから…程度でした。
その後、自分が作ったものが世に出る楽しみや、創意工夫によって結果が変わる醍醐味などを味わっていくことになるのですが、最初の最初はそんな程度。
デザイナーの中でも独立している人やフリーランスの人限定にはなってしまうかもしれませんが、バカみたいな長時間労働を嫌々したり、嫌いな上司の顔色を伺ってストレスを溜めたりしなくて済むのは利点以外の何物でもありません。
自分が比較的得意なことを活かしてしかもそれがお金になる、というのは、自分のように「嫌いなことは一切やりたくない」というタイプにとっては最高の労働環境です。
まあ、確定申告からは逃げられないけどネ!!!!!
7.なんかかっこいいと勝手に思ってもらえる
これはメリットでもありデメリットでもありますが、「フリーランスデザイナーです」と言うだけで「なんかオシャレ〜〜!」と勝手に思ってもらえます。みんな夢を見過ぎです。何の影響なのかわかりませんが、とにかく自己紹介して一番最初にもらう反応がこの「へえ!すごい!カッコいいですねえ!!」です。
プレッシャーでもあるけどね…
それでも、普段馴染みのない一般の人の感覚では「横文字職業だ!なんか凄そう!」です。たとえ年収が100万に満たない零細どころの騒ぎではない弱小自営業者であっても「なんかかっこいい」です。きっと自由人っぽい印象があるのでしょう、「なんかかっこいいですね!」です。
実際にはそんな事はないのは自分自身がよ〜〜〜〜〜〜く分かっているのでむず痒いですが、「なんかダッサイなこいつ」と思われるよりかは千倍マシ、という点ではメリットと言えるでしょう。
8.自分が考えて作ったものが実際に使用される
クリエイターにとって、やはりこれが一番の醍醐味じゃないでしょうか。たまたまイベントに行ったりマルシェに行ったとき、思いがけずかつてのクライアントさんが配っている何かを自分が手に取る。街を歩いていて、自分が手がけたロゴが立派に店頭で輝いているのを目の当たりにする。自分が作ったチラシが、あちこちに置かれていて人々がそれを手に取って読んでくれている。運がいいと、作ったものに、どこの誰かも知らない人から、反応がもらえる。
以前選挙の際にチラシを作る機会があったのですが、元デザイナーをしていた市民の方から、わざわざメールで「他のチラシに比べて格段に読みやすく、わかりやすく、目を引くものだった。普段は政策チラシなど読まないが、しっかり最後まで読んだ」と言う言葉をもらい、舞い上がるほど嬉しかったことがあります。
無数の切り抜きや、トレースや、地図づくりや、撮影指示や、字詰めや、レイアウトや、気に留めてももらえないちょっとした挿入される図形やグラフ、イラストの数々…細かいことの積み重ねですが、それが実を結ぶ瞬間、それまで頑張ったことが結果を出したことが証明された瞬間は、何物にも代えがたいほどの喜びです。
9.支配欲が満たされる
8番と少し被りますが、正直言ってデザイナーというのは業の深い仕事です。誰かが親子連れと触れ合っているシーンを見ても、「微笑ましい」などと言う感情より先に「ふっふっふこれは絵になるな!!」と思いますし、「いい素材になるぜ、ぐへへ」と言う発想が先に発生します。ほとんどサイコパスです。
そう言うサイコパス的には、「自分がデザイン=設計した構想通りに民衆が反応し、行動する」と言うのはちょっとした(だいぶ)暗い喜びの一つです。
たとえばイベントの案内など地味なものだったとしても、そこに参加している人たちみんながそれを手に読んでいるところを見たり、自分が狙った通りの反応が返ってきたりすると、「自分がこれを制作したことによってこの人々は今、この行動を取っているのだ!!」という感情は、おそらく「支配欲」と言っても過言ではないと思います。
ん?性格悪いって??
やだなあ、言ったじゃないですか〜、サイコパスだって…笑
10.ちょっと変わったことしても許して貰える
たとえ髪の毛がキンキラキンでも、耳に若気の至りで開けたピアスの穴が10個くらい空いていても、空気を多少読まずにマイペースにうろうろしていても、「デザイナーさんだからだろう」と思って許してしてもらえているフシがあります。
本来であれば「市議会議員の奥さん」と言うと、清楚で、何と言うか良妻賢母的なイメージを押し付けられることの方が多いのですが、「デザイナーなんです」と言う一言で、「あ、なんか変わったことしてる人なんだ、じゃあこんなんでもしょうがないか!」と思ってもらえます。
社会不適合でいわゆる良妻賢母のイメージしてなど真っ平ごめんだと思っている自分にとっては大変楽チンです。なぜか随時和服の人だとか、それなりの年齢なのにバブリーでギャルっぽい格好のお姉様とか、全身ブランドで固めたバリバリの人とか、頭の先から足の先まで真っ黒で統一している人とか、金髪モヒカンの50代デザイナー、スシのことばっかり呟いてる女の子、コラージュ画像に使われまくっているモンハン勢デザイナーなど、そう言う「どう見てもこいつカタギじゃないんじゃ??」みたいな人が結構います。どう考えても異常者です。
が、それがだいたい「デザイナーさんだもんね」の一言で許されます。
世の中の普通に合わせようとするとストレスがたまるものですが、多分きっとパリコレみたいな服を着ていても「まああの人デザイナーらしいからね〜」って言って貰えるかもしれません。
いかがでしたでしょうか。多分何の参考にもならないと思いますが、時間潰しに読んでくださった方が万が一にもおられましたら、あなたは大変奇特な方です。ありがとうございます。
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ドクター・ストレンジ見て来た!(※ネタバレ有)
MARVEL系の映画は殆ど見てると言って過言ではない状態なんですが、さっそく見てきました。ごりごりネタバレすると思うので、ネタバレが嫌な人はスクロールせず即座に帰ってください…
結論から言うとマント最高。
あらすじ(引用)
上から目線の天才外科医ドクター・ストレンジ。突然の交通事故により、神の手を失った彼を甦らせたのは─魔術。指導者エンシェント・ワンのもと、過酷な修行をかさね人智を超えた力を手にしたストレンジだったが、世界を破滅へと導く闇の魔術の存在を知ったとき、彼は壮絶な魔術の戦いに巻きこまれてゆく。しかし、“人を決して傷つけない”医者としての信念が、敵であってもその命を奪うことをためらわせる。彼は、いかにして闇の魔術に立ち向かい、人々の命を救うのか?ドクター・ストレンジにしかできない、常識も次元も超えた戦いが始まる。
予告編を前回のローグ・ワンの時に見て、とりあえずこれは3Dが映えるだろうなあ、というわけで3D IMAXにて観賞。109シネマズの最終回でしたが、客席はガラガラ。
まずのっけから、エラッそうなストレンジ先生…いい雰囲気な美女の女医さんとか出てくる。イケメンなオジ様には美女がいなくちゃね、うんうん。可愛いよ女医さん。それにしても医者シーンの尺が長いなあ、てか高級腕時計の収集はともかく回転させる意味あるのかよとか思ってたら…
事故った。
事故ったよ先生!!
歩きスマホが危険と言われて久しいですが、運転中に患者の資料スマホで見たらあかんて。そら事故るって。あとセキュリティ的にいいのかそれは
ガードレールを突き破って、何回も回転しながら大破する車。
両手とか顔とか怪我してたけど、フツー死ぬ。
どう考えてもあの落ち方命無いだろ!!
と突っ込みながらも「まあ、うん、映画だしね、絵的なね、見せ方とかね、うん、派手な方がね、」と納得させつつ次の展開を待つ。
謎のリハビリ師が教えてくれた奇跡の回復を遂げた男の情報をたよりに、男を捜すドクター。なんと主要な神経がくっちゃんくっちゃんになっていたはずの男が、元気にバスケをしているではないか!!!何が何でも話を聞かなくては!
冷たくあしらわれるも食い下がり、なんとかネパールにあるという何やら怪しげなまじないの集団がいる秘境へ旅立つ……
アジア人に紛れて…紛れてない!!超ういてる!!
案の定強盗に襲われるも、アサシンクリードのアサシンみたいな変な奴に助けられるドクター。こっちだとか言われて、導かれるまま教団本部のようなところへ。
助けてくれたアサシン魔術師に、「常識を捨てろ」とかなんとか言われながら、目の前の中華系のヒゲのおじいちゃんがきっと長老だろうと、一応かしこまって?ご挨拶をするドクター。しかして実はそのおじいちゃん、ただのモブでした。
実際の一番偉い魔術師は、美人なハゲ。
エンシェント・ワンと呼ばれるお師匠。綺麗なんですけどね、頭剃ってますからね。
そしてドクターもさすが理系脳。
専門用語を並べて最高指導者相手にあれこれ質問しまくる。徹頭徹尾、最初からオカルトだろ東洋医学ですらないなんて、と意味が分からないもの扱い。信じる気なしのドクターに対し、のらりくらり話すエンシェント・ワン。業を煮やして詰め寄ったドクターに、気功っぽい動きでいきなり掌底突き。
え、初対面ですよ?
すると、体から幽体(アストラル体)が引き剝がれて、大宇宙と言うか多次元世界の中をジェットコースターのように引きずり回され、わけのわからんままに超体験を無理矢理させられるドクター。
もう一度言いますけど、初対面ですよ?
確かに詰め寄ったのは悪かったと思うけど、ちょっと厳し過ぎませんかね??
ショック死しそうなんですけど??
そこまで知って、ドクターも「こんな世界があるならばこの手も治るかも…!」と態度を一転、弟子入りを志願。うんうん、今までから心を入れ替えるんだろうね!これで魔術師に…!と期待したら、
断られた。荷物も外にポイ。
しかしそこは天才外科医になるほどの人物、ただじゃ引き下がりません。
扉の前でひたすら5時間拝み倒すドクター。
まあね…うん…忍耐って大事だよね。
で、結局師匠が折れて修行が始まるわけですが、周りと違って訓練もしてないドクターが、昨日今日で色々やれるはずもなく。周りの生徒が余裕でテレポート用の穴を目の前に作り上げる中、パチパチとなにか弾けるばかりで全然ダメなドクター。見よう見まねで動きだけ真似してみるも、空中にはしょぼい火花がパチパチするだけ。
やれやれ、ってことでお師匠がまた大ハッスル。
エベレストに置き去りにされる。
だからスパルタ過ぎないかそれ?ブラック企業かよ!!
「30分で人間は死ぬ、あなたは2分で死にそうねwww」
とか言って自分だけ戻る師匠。鬼かよ!!!!
無事?戻って来たドクター、凍りかけてますよ!!!
ま、そんなこんなで、施設にある図書館とか、よくある瞬間画像記憶能力なんかを利用してどんどん色々できるようになったドクター。不老長寿を望んでいる危なっかしい見た目のダークサイドな感じの敵とか出てくるわけですが、その辺はまあいつものマーヴェル。
途中出てくるマントが可愛いんですよ!!!
自由に動くし、主人公の戦闘助けてくれるし、ふよふよ浮いてるし、賢いし、ちょっと間抜けなんだけどでもそこがいい…!MVPはおまえだ、マント。
え?ラスボス?
拝み倒されて帰ったよ。
色々と突っ込みどころは満載でしたが(指のリング落としたら瞬間移動できないって、魔術としてちょっと抜けすぎてないかとか、時間操れるんならそこどうにかしちゃいなよとか、ラスボスその倒し方でいいのか!とか、何シレっとソー出てるんだとか、無限ビールとか最高だなとか、何でそもそもロキなんかニューヨークに連れて来たんだとちょっとおこなドクターに同情したりとか、ほかにも色々)総合としては結構面白かったです。
突っ込みどころについては、深く考えずにポップコーンをコーラで流し込みながらウェーイwwwwって見るべき。
とりあえず次はガーディアンズ・オブ・ギャラクシー2を見に行こうと思います。
アイ・アム・グルゥゥゥウウウト!!!!!(さよなら〜)
■
心にずっと引っかかっている言葉。
「鋭くて柔和、粗野で繊細
慣れていて珍(めず)らか、汚れて純潔
愚者と賢者の密会、ぼくはこうしたすべてであり、そうありたい。
鳩であって同時に蛇であり豚でありたい」
ニーチェの言葉だそうですが、地元・熊本の黒亭に貼ってある言葉で、本当にニーチェの言葉なのかどうかはよく知りません。
でも、「とっても人間らしいな」、そう感じました。
人間って矛盾だらけ。でも、その全てを飲み込んで、受け入れて、
自分をありのまま、矛盾を抱えたまま生きていく。
デザインって、生き方だなと最近思うようになりました。
全ての見聞きした事、生き方、スタンス、信念。
そうしたものが、無意識ににじみ出てくる。
終わりはない。ゴールも無い。矛盾もしてるし、思い通りになることも少ない。
そんな世界に飛び込んでしまったけど、後悔はありません。
だってむっちゃ楽しいもんw
女性クリエイターのキャリアと結婚。
女性クリエイターにとって、結婚出産育児とキャリアは両立できるのか?
これは結婚後、ずっと私の中でもやもやとした、そして心の中でずっとチクチクとしていた問題のひとつです。
結婚はしたけれど出産・育児はまだ。
キャリア形成もしなくちゃならないけれど、独立してまだ1年と少し。
普段は矜持と自信、そして誇りを持って仕事をしているつもりでも、
バリバリと大手の仕事をこなす有名男性デザイナー達を見ては、憧れ、尊敬し、その反面、自分は何と矮小であろうかと、反省もしきり…いつか周りの、なんだか凄い人たちのように、凄い作品を作れるようになるのだ!!と、日々勉強を続けています。きっと、これからもそうでしょう。
デザインという道は、おそらく死ぬまで続いているのですから。
一方で!!!まわりはどんどん子供を産んでいくッ!!!
生理前にFacebookなんか見た日には脳内は大惨事だよ!!!!
同級生が第2子を産んでいたりして、何かにつけて、家族団らんの楽しそうな写真をアップしている…
わかっています、もちろん。彼らには彼らの苦労がある事も。
元々特に嫉妬はしないタチですが、嫉妬はなくとも焦りは生まれてしまう今日この頃。
気分は曇り空。目に映る全てが物悲しく見え、この世には夢も希望もないんだ…
きっとこのまま何の脚光を浴びる事もなく、世の中に何も残す事なく、老いていつしか孤独死するに違いない…
ああ私はゴミだ、ミジンコだ、部屋の隅で塵だけ食べて死ねばいいんだ…
と、どこまでもネガティブな気分になることも…
人間だからね…!
そうして、思う訳です。
「いったい私は母親になれるんだろうか…」と。子供を産む、責任を負う、キャリアを捨てなければ育児など出来ないのではないか…と。
現実に、結婚を諦めたり、結婚どころじゃない!と仕事に打ち込んだ結果結婚するのを先延ばしにしてしそびれてしまったり、家庭と両立出来ずに離婚に至ったり、結婚して様々な機会を失ったり、就職活動で不利になったり…
「女の子は結婚したり妊娠したりするからねェ…」
「就職したいのなら結婚してる事は隠しておいた方がいいわよ」
悪意のない、当たり前のような女性差別に直面した事もあります。
同じような人、結構要るんじゃないでしょうか。知らないけど。
そんなわけで。
ぶっちゃけその辺どうなんですかね??と相談してみた。
ちなみに、今回、回答をくれたのはデザイナーのM氏です。
(ご本人に了承をとっていないので伏せ字にて失礼をば。)
結論から言えば、彼の言葉はとても私に救いをもたらすものでした。
M氏:「確かに結婚、出産で、女性は短くても1年、長ければ5年、10年と現場から離れ、その間キャリアにはブランクが出来る。
短期的に見れば、それは損でしかないように思えるだろう。けれど、女性が持っている力は、そんな簡単なものじゃない。女性の方がスパッと決断する力はあるし、それは僕たちの仕事でとても大切なものだ。
子育て、出産、育児、本質的には女性にしか行えない事が多々ある。
それらの経験は、長期的に見れば、我々男性が決して得る事のない貴重な経験であり、作品に良い影響を必ずもたらしてくれる。
”キャリアと出産育児、どちらかを選ばなくちゃならない”なんて、どうか、かたくなに考えてしまわないで。自然に、来るべき時に、自然に任せて。」
細かい言い方は少し違うかもしれません(申し訳ない…)が、
おおよそこのようなことを言ってくださいました。
思えば私がデザインの道に進んだのは、度重なる偶然と、「女の子ってことは実家(居酒屋)継ぐんじゃなくて、そのうち独り立ちしないといけないんだな、じゃあ結婚とかも多分するかもしれないし、性格的に専業主婦とか向いてないだろう。その時に男性が稼いでくれないと何も出来ないって芋虫状態では不安過ぎるし、自分が稼いでいないと相手の選択肢も狭まってしまう。結婚しても続けられるような感じの手に職をつけておこう」という、わりと打算的なものでした。
実際にやってみたらすんげえ楽しかったので、結果としてはオーライすぎるわけですが…
しかし、現実には、女だからなwという扱いをする人はどの業界にいても男女関わらず一定層います。「ガラスの天井」などどよく言いますが、性差別というより肉体的な意味で、出来ない事や苦手な事なんかも当然あるわけです。
精神論で生理の出血や貧血が治るわけではありませんから。
特に競争が激しいクリエイティブ業界、人を雇う余裕の少ない中小事務所からすれば、結婚した、できちゃったからと言って寿退社などされた日には目もあてられません。
潰れる事も覚悟しなければならないハプニングへ発展するリスクを抱える事になります。積極的に採用しよう!とはならない人の方が多いのかもしれません。
結婚を期に、出産を機に、現場を離れた方も多い事でしょう。
でも、すべからく有名な、そして美しい作品を生み出すクリエイターは、
その生き方もまた、凛とした、心躍る魅力的な人がほとんどです。
ちょっとばかり戦線離脱をしたとしても、少し遠回りをするだけ。
結婚出産育児に時間をかけたからって、
キャリアを諦める必要なんてないんだ!!
焦り過ぎて、視野狭窄に陥っていたのかもしれません。
私がかけられた言葉で少し救われたように、
ためらっている全ての女性と、力んでしまっている全ての頑張っている女性に。
肩の荷を少しでもおろしてほしい。
そう願います。
全ての経験を糧にする。
そういう覚悟をすることは、もしかしたら、人生をかけた一大事業になるのかもしれません。でも、きっと、もっと貪欲に、更に強欲に生きたって、バチは当たりませんよね。
About Us
design unit Uniは「カツラガワオリエ」「ヤナギダツトム」と共に始まった「ユニット制デザイン事務所」です。ユニット制にすることで、分野の垣根を越えた提案やデザインを提供する事を目標に、建築士、行政書士、イラストレーター、カメラマン、イベンター、システムエンジニア、プログラマー、ウェブデザイナー、ライター、など様々な人々と協力し合い、それぞれが持つノウハウやアイディア、強みを柔軟に活かしていくことができるように、いわゆるトップダウンで物事を進めるのではなく、様々な意見を取り入れるべくユニット制になっています。リモートでお仕事することも!
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